タイ王国の商標事情

第20回 ジャスミンライス危機

タイの名産というと何を思い浮かべるか? 「タイシルク」 このキーワードが出てきたあなた、きっとあなたはおしゃれ大好きタイプの人でしょう。
「ナタデココ」 うーん。このキーワードを思うかべたあなた、ちょっと古いけど流行りモノ好きですね。
「シンハービール」「夜遊び」「女の子」などというキーワードが出てきた人、あなたは立派な遊び人。

昨今すっかり日本人の観光場所としての地位を築き上げたタイではあるが、実はれっきとした農業国なのだ。主要な特産物といえばお米。この国のお米は日本のお米とちがって細長くてポソポソしているインディカ米。
おかゆにするとさらさらしてるし、チャーハンを作るとちょうどいい。日本同様、インディカ米にもいろいろな種類があるのだが、なかでもほのかに花の香りの するお米は高級品とされているもので、ジャスミンライスと呼ばれている。タイ人にもっとも愛されているお米といえよう。

ところが、ある年、このジャスミンライスを巡って国家を揺るがす大事件がおきたのだ。これを名づけてジャスミンライス危機という。1998年のことだ。
「ジャスミンライスの種子がアメリカ人に盗まれた」当時のニュースではこう大きく取り上げられている。

アメリカ人がジャスミンライスの研究所から種子を盗み出し、アメリカに持ち帰った後特許申請し、特許を得てしまった。おまけに他のアメリカ人に 「JASMINE」「jasmati」という二つの商標が「米」について登録されてしまった。我々のジャスミンライスが一大危機に陥っている!

 「ジャスミンライス」と「JASMINE」「jasmati」じゃ非類似じゃない?と思うのは利害関係の一切な い日本人なら客観的かつ冷静な立場にたって、そう思うかもしれない。が、当時のタイでは「出所混同を起こしかねない名前だ」として大反論が起きたのだ。タ イのNGO団体に至ってはアメリカ大使館に襲撃する始末。
結果として、特許を得た者、商標を得た者のいずれとも悪意で使用しないから、ということでなんとかその場は納めたものの、タイ人の心に一つの深い思い  「わが国の産業を守る努力をせねば」をいただかせるに至った。
そして誕生したのが「地理的表示保護法」である。2004年4月28日発効。実にジャスミンライス危機から6年を経て発効に至ったのだ。日本、アメリカで はほとんど関心のもたれていないこの「地理的表示防止法」だが、ヨーロッパ諸国では保護を求める動きが盛ん。WIPOのSCTミーティング(に参加するた び、ヨーロッパ諸国の農産物に対する思い、地理的表示保護によるそれらを守ろうとする思いはひしひしと感じる。

 さて、タイの地理的表示法に話を戻そう。
この法律の最初には制定にいたる理由として「真正な地理的表示の混乱を招くような表示の使用を禁止し、地理的表示に関する国民の混乱を避けるための政策を 掲げる。」とし、TRIPS 22条から24条を遵守するものだと謳っている。ちなみに「日本もTRIPSメンバーだけど、地理的表示の保護は今のところ商標法上、商標登録させないと いうところにとどまっていて、積極的に地理的表示として登録を認めるという方向はまだ見えないけど」とタイの知財関係者に話したら、「信じられない!」と 驚かれてしまった。

 登録申請先は商標出願や特許出願同様、商務省知的財産局になる。
本法によれば、出願・登録の主体的要件として、(1)政府機関、公営企業、地方行政機関等、(2)自然人、団体等、(3)消費者団体ほかとあり、個人であれども登録申請できるのだ(7条)。
ここで問題が一つ。個人により、あるいは団体により登録された後、その表示はそのコミュニティー全体での使用のみが可能となる。第三者が使用すれば侵害事 件に発展する。仮に侵害訴訟が起きて侵害者側に損害賠償命令が下ったとき、果たしてその金を得るのは誰か?登録した個人か、あるいはコミュニティー全体な のか?それは条文上明らかにされていないし、制定者たちもまだ回答を出していない。
つまり、今だに不明。いずれ事件がおきたときに考えようっていうことだ。

 地理的表示が保護される産品は、農産物に限らない。工業製品も含む。「自然に発生したか否かを問わず、売買可能 なもの」(3条)とあるから、タイの山奥で採れる痩せる薬草やら、草の根だって地理的表示保護にあたる可能性も出てくるのだ。  出願書類は、商標出願同様、審査を経て登録されることになるのだが、出願から拒絶理由の発令までは150日以内と決められている(13条)。商標よりも相 当早いというわけだ。半年以内に白黒決着がつくというわけだ。登録の効果は出願日から。地理的表示として保護されることが決まった、つまり登録をうけた ら、それ以降、その表示を使えるのは、「その地理的原産地に住む該商品の製造者、販売者」であって、「登録官が定めた条件に従わなくてはならない。違反す ると20万バーツの罰金が科せられる。1バーツ約3円として60万円。たいした金額じゃないと思うあなたは日本の相場でお考え。タイ人の初任給が1万バー ツ平均だと考えると、結構な金額でしょう。
では、法律制定の原因となった「ジャスミンライス」は地理的表示として登録されるのか?
「ジャスミンって花の名前でしょ。地理的表示じゃないじゃない?」
こうタイの専門家に尋ねてみた。

「タイの法律の定義によれば地理的表示になる表示対象は非常に幅広い。  『シンボル』だって地理的表示なるから、その点は大丈夫。ただし、問題が一つ。いまや「ジャスミンライス」の表示は複数の地域で使われていて、それのみでは地域の差別化ができない点なんだ。登録されるかどうかは微妙だね。」

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