タイ王国の商標事情

第11回 タイの商標登録の現場に行ってみた
(商務省知的財産局商標部門)

本で勤務弁理士として特許事務所に通っていた私が、ひょんなことから2003年10月から約1年半にわたって JETROの知財専門家としてタイに赴任する機会にめぐまれた。幸いなことにタイの知財を扱う公的機関を訪問したり、タイの弁護士さんと話をすることもで きた。おかげで、日本にいたときとはちょっと変わった知財の現場を目の当たりした。この体験を独り占めするのは勿体ない。そこで、タイの知財現場を紹介し よう。

1.商標登録の現場を訪問

初回はタイの商標制度について紹介したい。 なぜ商標か?理由は2つ。まず、私は商標を専門とする弁理士(*1)であり、自身もっとも関心ある分野だから。もうひとつの重要な理由は、タイでは特許や意匠よりも商標・著作権といった問題の方が大きいからだ。特定国内で特許や意匠が盛んになるためには、その国の製品開発の技術水準が世界レベルに達していることも大切だ。 商取引が盛んで、国内外への商品流通が頻繁に行われるタイ、模倣品が出回りやすいタイにあっては商標・著作権といった問題の方が日系企業にとってもなじみが深いうえ、より重大であるのが事実だ(*2)

今回、商務省 DIP(Department of IntellectualProperty)を訪問し、商標部門の部長 ( Director of Trademark Office ) の Ms.Pajchima Tanasanti 実際に商標出願の審査を行っている審査官Ms.Chutima Mangmee の二人に話を聞いた。

2. 商標ってなに?

訪問談の前に簡単に商標について説明しよう。もはや商標と聞いてなじみのない言葉と思う人はいないだろう。ソニーの「WALKMAN 」やMicrosoft の「Windows 」、ベンツのマーク、ちょっと身の回りを見渡しただけでもあらゆる商標が目に飛び込んでくるはずだ。 商標という代わりにブランド(*3) という言葉が使われることもあるが、同義語と思って間違いはない。

商標というとマークそのものにばかり目がいくが、マークと同様大切なのが「そのマークをどんな商品やサービスに使うのか」という点。

実際、「A商標をB という商品に使う権利」を商標権という(*4)。 マークだけを取り沙汰するのはまさに片手落ちなのだ。 マークと商品(サービス)の組合せが商標権の保護範囲を定める決め手となる。

そのほとんどの国で採用されているのが登録制度だ。商標登録を希望する旨の申請書を提出

(出願)し、登録を受ける仕組みが一般的である。タイで商標出願書類を受理し、審査する行政機関がDIP (商務省知的財産局)。日本の特許庁にあたる。

3. DIP 商標部門の仕組み

4.未登録商標を守るには?

弁理士として企業の方から「外国で商取引を開始するのだが」との相談 を受けるたび、必ず取引開始時に商標出願をすることを提案している。何も代理費用に目がくらんでいるからというわけではない。「商取引開始時には先行きど うなるかなんてわからない。商標登録は、商売が軌道にのってから」と考える企業は多い。なるほど商標の模倣盗用というのは、軌道にのった商売の「ただ乗 り」を意図する第三者によって行われるものだ(*8)。商売が軌道に乗ってからでも遅くないと考える気持ちもよく分かる。が、この発想は二つの理由から危険。まず、第一点、私以上に皆さんご存知のとおり、いつ「商売が軌道に乗る」かなんて分からない。模倣盗用されてはじめて、自社の商標の著名度に気づくなどという例は枚挙の暇がない。また、実際、商標出願から登録にいたるまでには約1年半ほどの時間がかかる。その間に急速に自社の商標が著名性を増してしまうことだってよくあることだ。 模倣対策を講じる際には、確実に商標権を持っているほうが対処しやすい。より堅実なビジネスを行うためには絶対権利を確保しておくべきだ。

が同時に商標出願手続は若干複雑で分かりにくい。実際のところビジネスの立上げ時に商標出願にそれほど多くの時間とエネルギーを注ぎこむことは不可能という向きも多いだろう。仮に出願せず何の権利ももたない状態で、月日がたち、商標の侵害事件がおきてしまった。こうした場合であっても Ms.Pajchimaの説明のように何らかの対策は考え得るものだ。だから侵害事件に遭遇したら、あきらめずに、地元の専門家への相談を試みるべきだろう。

本原稿は、磐谷日本人商工会議所発行の「所報」に掲載された記事を改変・転載したものです。

注釈

(*1)
特許、商標、意匠、著作権といった知的財産権に関する手続代理をする資格業だ 。日本では年に1度大々的な試験が行われ毎年 5000 人近い受験生が資格ゲットにトライする人気職業でもある。資格のうえでは特許から著作権まで何でも手続代理できる弁理士だが、実際、特許専門(さらには化 学専門、機械専門と分化する)、商標専門というように得意(専門)分野を持つことの方が一般的だ。もちろん特許専門であろうと商標専門であろうと知財に関 する一般的(よりやや深め)の知識は弁理士たるもの持っているのが通常。 医者でいうところの内科、外科、産婦人科の区別程度のものと思ってまちがいはない。 なお、日本では比較的難しいとされるこの資格だが、タイでは数日間の研修を受けて能力確認テストを受けるだけで意外と簡単に「弁理士」 になれてしまう。さらにタイでは 「弁理士」 でなくとも商標出願の代理手続はできてしまう。国によって資格の取得方法、資格の内容も違うのだ。<<

(*2)
第三世界では特許法がない国もよくあるが、どんな国でもほとんどの国で商標法は採用されている。それだけ商取引における商標の重要度が高いということだ。<<


(*3)
雑誌やテレビを見る限り、服飾品メーカーの有名商標に対して「ブランド」という言葉が使われることが多い。が、「ブランド」という確立した商標法用語は存在しない。「商標」と「ブランド」を区別する基準も存在しない。<<


(*4)
スターバックス」商標を「コーヒーの販売」に使うからこそ商標権の侵害になるわけ で「スターバックス」マークを「洗面器」に使っても原則としては商標権侵害にあたらない。「原則として」と注釈がつくのは、商標が有名になればなるほど保 護される範囲が広まるためだ。いまや「スターバックス」商標は世界的にも著名商標。 だから第三者が勝手にこのマークを「洗面器」に使うと確実に侵害問題がおきるから要注意。<<

(*5)
商標権を得るための登録要件とは、大雑把にいうと①消費者がそのマークを目印にして、思う商品を購入できることができるほどの特徴があるか(識別性があるか)、 ②他人の商標と似ていないか(他人の先願商標と非類似か)という二つの要件だ。<<

(*6)
正式名称をInternational Trade and Intellectual Property Court ( 国際商取引および知的財産裁判所)。 1996 年に設立された国際商取引と知的財産に関する事件のみを扱う専門の裁判所である。 商標登録の取消、侵害訴訟そのすべてがこの裁判所で扱われる。<<

(*7)
商標法では先に登録された権利が消滅しないかぎり、後の登録が認められることはない(先願主義という)。早いもの勝ちということだ。この場合、第三者の登録が消滅してはじめて真正の商標所有者の出願は登録要件を満たすことになる。<<

(*8)
商標・ブランドに惹かれて消費者が商品やサービスを手に入れようとするからこそ、商標を真似して使おうと考える人が出てくる。つまり商標に信用(この商品は買うに値する品質があるという信頼感)が化体したということだ。この信用の化体こそが商標権の本質。 マーク自体には、デザインとしての価値、著作物としての価値以外、本来存在しない。<<

« 第10回 | 一覧へ戻る | 第12回 »